山城跡
松代町には中世の山城が多く残されている、遠く南北朝時代から上杉謙信の関東進軍、防衛を目的とした、見張り砦、狼煙(通信)城を備え、東頚城丘陵の稜線の揃う山々の地形をうまく利用した堅固な城跡である。ここでは山城跡の容姿と、記録に残っているもの、伝承によるものを紹介。
室野城跡
室野集落に殿屋敷という屋号の家がありここが城主の館跡である。南北朝の時代、風間信濃守信昭の勢力下にあったと思われる、伝承によると古くは松之山三郎の居城であったという、時代は不明だが大晦日の夜落城した。
蒲生城跡
蒲生集落の東方2キロに位置する標高377mの山城です。主郭から3本の尾根が山麓へ延びている。この城の史料、伝承は何も残っていない。
松代城跡
大字松代字城の腰、松代の中心部に位置し標高386mの堅固な山城です。伝承によると風間信濃守信昭の一族で風間九郎左衛門尉定勝の居城であったという。また袈裟掛の松という巨松があったという、上杉謙信来城のおりに袈裟を掛けたと言うが史料はない。
蓬平城跡
伝承によると天文23年12月北条城主北条高広が武田信玄に呼応し長尾景虎(上杉謙信)に背いたときこの城が関わりを持ったという。北、西、南は断崖絶壁で山中背斜峰方地形をうまく利用した堅固な構えである。
犬伏城跡
現在の犬伏集落は戦国時代、犬伏城の館跡です、渋海川と越道川に3方囲まれた断崖上にあり堅固な構えが伺える。建武年間(1334ー37)風間信濃守信昭の勢力下で南朝方だった。1337年4月21日足利尊氏仁木弥太郎義有を松山保の地頭に補任北朝方となる、以後原田喜太郎、丸山弾正、清水采女正、毛利秀広、小森沢政秀など諸将が入城、上杉景勝会津移封のち堀秀治の支配以後廃城となる。
古道を訪ねて
松代町には中世、近世の往還道路が沢山あります。主な道に高田、安塚、まつだい(松之山街道)妻有郷をへて三国街道に柏崎より岡ノ町、栃ヶ原、まつだい、松之山をへて信州善光寺道に通じまた東頸城丘陵で最も険しい褶曲や地層を見せているのが松代地区でここを渋海川が屈曲し流れ、渡し場も多い、それに峰伝い峠越えが多く法師峠、小豆峠、薬師峠があり峠には必ず馬頭観音および道標がある松代は街道の要地にあり近世では、蒲生、松代、犬伏、に宿駅がありその跡を残している。古道には当時を伝える道標や碑がたくさん建てられています。

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重要文化財
松苧神社(まつおじんじゃ)
大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奴奈川姫を祀るために建立したと伝えられる社殿。
上杉謙信をはじめとする戦国の武将たちも祈りを捧げたと伝えられており、謙信の軍配が奉納されています。
5月8日の七つ詣り(ななつまいり:数え七歳の男の子が参拝する行事)には、多くの人で賑わいます。
木造茅葺きで県内最古の建築物として、国の重要文化財に指定されています。
町の無形文化財
室野神楽・苧島神楽・犬伏裸太鼓

天然記念物
海老の牛池(浮き島)・長命寺の大銀杏
長命寺の大銀杏 松代町重要文化財
上杉謙信が三国峠を越えて関東へ出陣するおり、14回にわたって松代の地を通ったといわれています。松苧神社には謙信の軍配が奉納されており、往時の記憶を物語っています。
田沢十二神社の大けやき
現代アート
2000年夏、第1回妻有アートトリエンナーレが開催されました。
その後も松代城山のふもとに残された現代アート。
里山の風景の中で現代アートを楽しむ旅。
「越後妻有アートトリエンナーレ」とは、越後妻有6市町村(十日町市・川西町・津南町・中里村・松之山町・松代町)を舞台に、世界的なアーティスト達が地域住民と共に作品を制作し、イベントを行う3年に1度の現代美術のお祭りです。
第1回は、2000年7月20日から9月10日の間に開催され、世界32カ国から142名のアーティストが参加しました。
松代町のほかにも、越後妻有には多くの作品が残されています。

第2回妻有アートトリエンナーレは、2003年の夏、開催されます。2003年7月20日から9月7日の第2回大地の芸術祭期間中、大地の芸術祭イベントのひとつとして 公募作品により構成された短編ビデオ・フェスティバルを開催します。